滝行にいったら思いがけない発見があった話

どうも、こんにちは。
ヨシLABOです。

水ジオラマを作ろうとして、実際に水表現を学ぶ流れで
2021年7月に某都内の辺境の地で滝行に行ってました。

そこで水の表現力での学び以外にも多くの貴重な経験と
学びがありましたので、記事にして共有したいと思います。

あなたはこんなことを普段思ったことってないですか?


・他人の目ばかり気にして作品を作っても楽しくない。

・下手だと思い込んで、作品を人に見せることをしない。

・上手くなりたいと密かに思っていても、素直に人の作品を褒めることができない。

・ジオラマをやりたいと思っても、なぜか大変なものだと思い込んでいる?

もし、あなたが現状これらのことで1つでも悩みが当てはまれば、
何かしらの気づきになれるかと思います。


今回の記事で得られることとしては

===========
◇あなたの中の雑念を消し周りのことを気にせずに
息苦しくならないためには?
===========

といったことが学べますし、僕は滝行を経験して学びました。





実は滝修行と言いつつ、僕が半日体験したのは

「滝修行+座禅+瞑想+読経+お百度参り」
の詰め合わせパックの
修行体験でしたので、結構ハードワークでした。

◆そもそもお前はなんで「滝修行」なんかに行ったの?



水ジオラマを作ってりゃいいのに、
なんでそんなことをしたのと
(多少は)疑問に感じたかと思います。


僕が滝修行に行こうと思った理由は2つです。

1,本当に水ジオラマの表現力を学ぶために、滝を浴びてみたかった。

2,右手が3か月動かなくなって不調が続いたり、
 自分に悪い気が流れているような直観があり、それを断ち切りたかった。


というような理由から、滝修行に行ってみたいと思い
修行に申し込みました。


1、水ジオラマの表現力をつけるため


元々水ジオラマの表現力をもっとつけたいために行こうと考えた
滝修行でした。


水ジオラマと言ったら、まずは滝だろうという安直な考えでしたが

「水ジオラマやってる奴で、滝浴びた人っている?」

滝ジオラマ自体は作ってる人は探すと結構いるんですよね。

だけど、実際に滝浴びてまで、
ジオラマ学ぶ人はいるか?

いやいないだろうな・・・・と直感ですが。


滝浴びたことがない人が作るものよりも
実際に滝を浴びたことがある人が作ったジオラマって聞くと
それだけでも面白そうですよね。

「滝修行言ってきた人が作った滝ジオラマ」

なんか面白いですよね。
クォリティは後からついてくると思っているので、
キャッチコピーとしてはアリかなと。

滝の中の音とか、大量の水が頭に打ち付けられる感覚とか
どれほど多くの水量が体を襲ってくるかの状況とか。

マック食ったことがない人が、
マックの良さを伝えることができないように。

まず体で体感しておこうか!という感じです。

2,右手首が3か月動かなくなる不調や悪い気を断ち切りたかった



右手首が動かなくなるケガは2021年4月17日に
「自分で何とかなること」「自分では何ともならないこと」
ノート2ページに渡って、書きまくった次の日に起きた出来事でした。

「何か悪い気的なものがあるんじゃね??」

と直観的に感じましたよね。


まさに自分では何ともならないことが、
次の日の4月18日に起きてしまったわけです。

タイムリーすぎない!?
正直自分でもビビりました。


朝起きたら、右手首から先に動く感覚がない・・・
1時間、2時間経っても動かない。
右手首を上げることも、右手の指を持ち上げることも。


指先の感覚はあるけど、頭から信号飛ばしても体が動いてくれないみたいな。

「終わったわ・・・」

その時、マジで思いました。

これから1日20記事とか作品製作の方もガンガンやっていこうと
気持ちと自宅の環境を整えたばかりので出来事でしたので

なおさら精神的に沈みました。


1日何もできず、どうすれば治るのかずっと調べまくってて
いつの間にか1日が終わってしまいました。


色々と調べたら「橈骨神経麻痺(とうこつしんけいまひ)」
というのにかかったらしく、

次の日に病院に行ったら、調べた通りの診断をされ
自然治癒と神経の回復を促すビタミン剤を飲むしかないよとのこと。


完治までは3か月はかかる診断で、
「3か月経っても右手首が思うように上がらない状態が続くと
手術しないといけないよ」

医者からはそのように言われました。

針治療にも行ったり、整体にも行ったり
考えつくせる手は全てしたつもりでした。


運命って言葉はあまり好きじゃないのですが、
これも何かの運命なんだろうなとこの時は思わずにいられませんでした。


そんな嫌な運命も
滝行に行って精神修行すれば、嫌な気の流れも断ち切れるだろうと。
(ケガが4月半ばで、滝修行が7月中旬頃)


ちなみに3か月手首上がらない状態っていうのは
ずっとこんな感じです。


右手首が3か月動かなくなって感じた時の話は
自己紹介記事で書きます。

あとは滝修行に行けば後でネタになるかなとか、
面白い人生経験になるかなというのも多少はあったのもあります。


◆滝行前に滝にビビりながら瞑想と座禅と呼吸、お百度参りをこなす心境



正直、勢いで都内某所まで滝修行に来たはいいけど

「滝打たれて石落ちてきたら死ぬんじゃないか?」

「寒すぎてもしかして心臓止まるんじゃ?」

「あまりの寒さや滝行の辛さに我慢できなくて、ビビってできないんじゃないか?」


とか滝行受ける前は頭の中でぐるぐるずーっと、考えていたんですね。
ぶっちゃけて言えば、心の中ではかなりビビッてました。


他に人がいたら

(あまりビビッてるところとか見られたくないなあ)
とか

(滝なんて何てことなくね?)
みたいな虚勢とか

余計な心配もしていたなあって。


その心配性なところから、午前12時半から始まるのに
午前11時に着いてしまったのですが・・・


早く着いたおかげで
記事を書く余裕ができたので

精神的に落ち着かせるため寺院の中で記事を書いて
何とか自分を落ち着かせることにしました。


しばらくすると人も集まってきて、
お坊さんに呼ばれて
「瞑想+座禅+呼吸+お百度参り+滝行」の半日修行が始まったわけです。

瞑想と座禅、呼吸のレクチャーが終わった後に
パンツ一丁の上に白装束に着替えたんですが、

いよいよもって、滝行に行く準備ができたときになって
ビビり気味の自分が返ってきました。


(おいおい、マジで滝行に行くよ…….)

(ここまで来ちゃったらもう引き下がれないし、
他にも参加者いるし、滝の前まで行ってできませんでしたとか
ダサい姿とかさらしたくないなー)

いや、めっちゃビビっとるやんけって感じでした(笑)


初めて挑戦することとか
未知の体験とか普通に怖い

まして万が一命にかかわることであれば、なおさらで。。。


でもここで引き下がったら何よりダサいし、
この程度で引き下がってしまったら悪い気なんて断ち切れん。

そう滝までの移動中の車の中で考えてたんですね。

◆滝行で感じた「人の目」を気にして生きている暇はない、「今」を生きていることに感謝できるようになる


その滝行のメインイベントの滝を目の前にすると

い、意外とデカイ・・・


これに打たれるの?
生きて帰れるんだろうか。

ちなみに、写真の中で実際に滝に打たれているのが僕です 笑笑笑


「何でこんなとこに来たんだろう」


一瞬ここに来た事を後悔しました。


滝に浴びるのは3人目でしたが、
前の2人を待っている間は結構ビビってましたね。


いよいよ自分の番になって

「ヨシさん、次あなただよ」
とお坊さんに呼ばれ、

声だけでも、虚勢でもいいから形から入ろう。


滝つぼに足を入れると

(水冷たっ!!!)


想像以上に肌に刺すような水の冷たさに
気持ちが折れそうになりましたよね。


滝つぼの手前の水場で

山の神と滝の神に
「修行をさせて頂く宣言」をしてから、
肩に3回、頭から1回水をかぶり入滝します。

この時にはもうどうにでもなれって感じです。

水ジオラマとかどうでもいいし、
他人からダサく見られるとかもどうでもいい。

まずは滝行を生きてやり切って、無事に帰る。
この思いだけです。

他の余計なことなんて考える余裕はない。


滝に入っている間は南無大師遍照金剛を
お坊さんとのコール&レスポンス形式で唱えてました。


意識の確認と、自分の自我を保つために絶対に必要とのことでした。


滝に入って3秒でその意味がわかりました。

頭の上から滝から落ちてくる大量の冷たい冷たい水が


「ドドドドドドドドド!!!!!!!!」


と流れ溢れ出てくる中で

お坊さんの南無大師遍照金剛を聞くことと
自分が南無大師遍照金剛と唱える空間だけになっていました。


滝を浴びている間は

「めちゃくちゃ寒いし、早く逃げ出したい」
「呼吸もしづらいし、さっさと帰りたい」



そんな気持ちでぐちゃぐちゃになりそうになりながらも
「南無大師遍照金剛」と叫ぶことだけに集中してました。
(なむだいしへんじょうこんごう)と読みます。


あの状況で集中するってのもおかしい話なんですが、

集中するしかないし、こんな状況でも集中することが
できてしまった自分がいたことに気づきました。


ここでちょっとした不思議体験がありました。

滝壺の下に、あぐらを組んで「南無大師遍照金剛」と唱えていると

滝に打たれているはずなのに、何故か水の冷たさを少しの間
忘れてしまいました。

このままだと、気失って死ぬかも?

っていう感覚を覚えた瞬間に

「今、自分って本当に生きてるんだな。なんかわからんけど、冷静だ」

と強く感じました。

実際は、目の前にサポートしてくれているお坊さんもいるので
そこまでの不安はありませんでしたが。



滝行の時間は約2分弱でしたが、受けている間は長かった。

本当に長かった。

長かったけど、やり切ったんだよな。

小さいですが、滝行しただけで何かやり遂げた感が
自分の自信に繋がった気がしました。

「滝行をやり終えた・・・」

ただあの短い2分という時間で、
今生きていることを本当の意味で実感できましたし、
あんな状況でも冷静でいられることができる不思議体験をしました。



滝行で感じたことは、辛いと思うことでも一瞬で終わるし、
それを乗り越えたことで自信になるんだなと。


ビビッて、あーでもない、こーでもないとか
ウダウダ考えていた自分がアホらしかったなと。


逃げ場無くして行ってみれば、大したことなかった。
ビビりすぎてました。

◆ビビらずにやってみれば案外なんてことはなかった


滝行が終わって一番最初に感じたことは


「痛い、冷たい死ぬかもと思ってた滝行だったけど
やってみれば大したことないし、むしろめちゃくちゃ清々しい。」

「また来ることあればリピートしよう、むしろ誰か誘ってまた来よう」


まさか、滝行が終わってから「リピートしたい」
と感じる自分がいたことに驚きでした。

あんなにビビってたのにです(笑)

大変だと思っていたことって実は大変なことだと
思い込んでただけなのかなって。


勝手に壁を高くして、周りのことを気にして息苦しくしてたのは
自分の思い込みでした。


滝行で学んだこととしては、

他人が自分の作品に対して

「お前の下手な作品とか見たくないんだよ」とか

「自分がこんな作品作ってもダサいんじゃないか」とか

「自分なんかがジオラマやっても難しいし絶対大変だよ」とか


言われたり、感じていたら

何もビビることはないし、大変だと思ってるものはさほど
大変なことでもないということ



もしあなたが
自分の作品はかっこ悪い
上手くはない、
ジオラマ作るのとか難しい、無理


ビビることは何もないし、
やってみれば全部大したことなんてなかった。

勝手に壁を高くして、息苦しくして
他人の評価ばかり気にしてもしょうがない。


ビビらずに、やりきることにフォーカスすれば
何事も乗り越えられる。

そして、乗り越えた先にまた新しい発見もあるんだということ。


僕が「滝行にまた行きたい」とリピートしたいと感じれるように
なったように。


長くなりましたが、
ここまでお読み頂きありがとうございました。


少しでも面白いと思ってくれたら
おススメの滝修行のお寺をご紹介しますので
気軽にご連絡を 笑


p.s. 最後に修行終えた後は水ジオラマのことは
すっかり忘れてしまっていました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です